生徒のこと、なんとなく分かった気になっていませんか?
その考え、危険かもしれませんよ!
〇生徒を100%理解することはできない!
今回は生徒理解についてお話ししたいと思います。
以前生徒理解に関わる記事をいくつか書かせてもらいました。
しかし、そもそも何ですけれども
「生徒を理解する」ということは本当に可能なんでしょうか?
クラス、授業、部活動で見ていて、「なんとなくこの子はこういう子なんだろうな」と思うことはあります。
しかし、その子がいつもどんなことを考えているのか、家ではどんな子なのか、ネット上ではどう振る舞っているのか、みなさんは分かりますか?
正直、自分の子どものことですら全て分かる人はいないと思うんです。
でも、教師はなぜか
「自分は子どものことを分かっている」と思いがちです。
これはおそらく、大学の授業で教育心理について学んだ知識を取り出したり、今までの人生経験から似た人に当てはめたりして「分かっているつもり」になっているんだと思います。
そしてたちの悪いことに教員として経験を積んでいくと、本当に大体は分かるようになってきます。
「この子は先生の前では一生懸命やっているように見せているけど、見ていないところでは手を抜く子だな。」
「たぶんこの子は甘やかされて育ったんだろうな。」
あながち間違いでないこともあります。
しかし、子どもの相談にのるとき、この「分かったつもり」の認識は非情に危険です。
多くの教員は子どもの相談に対して決めゼリフを言います。
「うんうん、よく分かるよ。」
私が一緒に相談室で話を聞いたときも、多くの教員がこれに類似したセリフを口にしていました。
この「分かるよ。」はおそらく、悪気なく、本当に分かったつもりで発した言葉だと思います。
たとえば、部活動の友人関係で悩んでいる子がいたとします。
それに対して、
「うんうん、よく分かるよ。先生も似たような経験があってね…。」
と自分の話が続いていくんです。
もしくは、
「よく分かるよ。みんなそういう悩みを抱えているよ。」
と悩みを一般化されてしまいます。
確かに似た経験をもっているかもしれません。
場合によっては教員や他のクラスメイトのほうがつらい過去をもっているかもしれません。
しかし、その子が抱える悩みはその子の悩みでしかあり得ないのです。
〇「分かるよ」という言葉の怖さ
もしその悩みが軽い場合は特に問題なくこの話の聞き方で解決するかもしれません。
中程度の場合は堂々めぐりで、解決したようなしないようなという感じになります。
重い悩みだった場合は残念ながらその子は心を閉ざしてしまうでしょう。
深刻な悩みを抱えている子は「分かるよ」と言われた時点で、「分かってくれていない」と感じます。
悩んでいる子は「私の」「今」「抱えている」「悩み」を訴えているのです。
教員はその子ではありません。
その子の悩みを100%理解することなど不可能なのです。
ですから、「分かるよ。」と分かったつもりになるのではなく、
「先生には100%君の気持ちは分からないかもしれないけれど、君が今つらい気持ちを抱えていることを何とか助けてあげたいと思っているよ。先生で良かったら何でも話を聞くよ。」
と分からないかもしれないけれども寄り添う姿勢を見せて欲しいなと思います。
実はこの話は実体験でもあります。
つらい気持ちでいっぱいだったとき、
「分かるよ。」
「私もそうだったよ。」
「みんなそうだよ。」
そう言われるたびに絶望していったことは思い出したくもないです。
教員だけの話ではありません。
そもそも他人のことを100%理解はできません。
しかし、寄り添って、少しでも理解しようと努力することで大きな悩みを抱えた人の心の闇が少しずつ晴れていくのではないでしょうか?
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