どうしていじめは無くならないのか?
考えたことはありますか?
〇いじめがしてはならないことだとは分かっている
まだ幼い小学校低学年の子なら話は別ですが、小学校高学年・中学生・高校生の子たちであれば、いじめが「してはならないこと」だということは理解しています。
以前記事として取り上げましたが、私は全校生徒の前で
「いじめは何があっても絶対にいけないことだと思うか?」
と問いかけたことがあります。
その結果100%の生徒、500人の生徒全員がしてはいけないことだという方に挙手しました。
ですが、一向にいじめが無くなったという話など聞いたことはありませんよね。
TVで取り上げられるような痛まし事件だけではなく、教育関係者、保護者の方々であれば身近でいじめが発生したことが一度や二度はあることでしょう。
ではまずなぜいじめが無くならないのかということを考えてみましょう。
〇なぜいじめが無くならないのか?
子どもたちはそれまでに家庭や学校で受けた教育から「いじめはしてはいけないこと」だと知っています。
しかし、実はそれを「自分のこと」としては捉えることができていません。
ちょっと嫌味な言い方をすると、
「いじめ?うん、ダメなことだよね。俺はしてないよ。だから関係ないね。」
という捉え方をしてしまっているのです。
そう「いじめは他人事」なのです。
だからいじめは無くならない。
たとえいじめがあったとしても、それは加害者からすると「世間一般的に言われているやってはいけないいじめ」ではないのです。
だからなぜそんなことをしたかと聞かれれば
「だってあいつだって…」
「でも〇〇だってやってたし…」
と「自分がしたこと=いじめ」にはもっていくことができないのです。
そして、恐ろしいことに、その捉え方は私を含め、大人たちも同じように考えています。
普段から家庭で
「人を傷つけるようなことはしてはいけないよ」
と教えているパパやママが、家族で外出したときに子どもがホームレスの人をまじまじと見ていたら
「見ちゃダメ!」と言うし、
電車の中で黒人の人が座っている座席から離れていくのです。
そんなことはままあることではないですか?
例を変えれば自分にも当てはまるという人がたくさんいるはずです。
「人は差別をする生き物」なのです。
だから親でさえも自分の子どもがしたことがいじめだと認められないことがあるし、場合によっては教員さえも認めないのです。
〇まずは自分も差別をしているかもしれないという自覚からスタートすることが大切
いじめはいけない、人を傷つけてはいけない、差別はいけない、分かっています。
それでも人は差別してしまう生き物です。
だからこそ、常に自分が
「私も差別しているかもしれない」
と考えることが大切になります。
そこで初めて自らの言動を振り返り、
「やってはいけないことをしてしまったのかもしれない」
と思いいたることができます。
この「私も差別しているかもしれない」と自問自答することで初めて他人事ではなく、自分のことになるのです。
〇では学級でどう指導すれば良いか?
年度が始まったらできるだけ4月のうちに、上記の話を真剣にすべきです。
私は先に全校で「いじめは何があっても絶対にしてはならないことだと思うか?」と問いかけたところ、500人全員が挙手をしたと述べました。
しかし、実際は10%くらいの子は
「いや、その子に落ち度があったらしてもいいんじゃない?」
というように「絶対にしてはいけない」とは考えていない子がいると思います。
ですが、100%の子が手を挙げた。
これが何を意味すると思いますか?
90%の子が「いじめは何があっても絶対にしてはいけない」と示したことから、その場に簡易的に「いじめを許さない雰囲気」ができあがり、手を挙げないということができなかったのだと私は思います。
これを学級でやるべきです。
4月のうちに「いじめは絶対に許されないことだ」という話にプラスをして、「人は差別をしてしまう。だからこそ常に自分が人を傷つけていないか振り返る必要がある」という話を訴えましょう。
そうすれば90%の子はいじめを許さない雰囲気を作ってくれます。
あとは教師が姿勢で見せることです。
そんなことを言っておきながら教師が子どもをからかったり、差別するような行動を取ったりすれば、すぐにその90%は80%や70%に減っていきます。
そしていじめが発生する。
そうならないために、教師自身も常に自分の言動を振り返り、子どもたちの良き見本でいなければならないのです。
学校の諸問題を考えた記事はこちらです。