中学校野球部!絶対に強くなるヒント集

中学野球や部活動の経営をしている方々のお役に立てるように、野球技術のみではなく、組織づくりのことなど、野球部の経営に役立つ情報をどんどん発信していきます。また、野球小僧を育てたい親御さんに役立つ情報も掲載していきます。宮川理論の公認指導員です。

私が6年間で一度しか都大会に出場できなかった理由

こんな偉そうなブログやっといて6年間都大会出場なし!

絶対に強くなってねーじゃねーかよというツッコミ殺到中!※していません。

何が敗因だったのか振り返ります!

 

〇6年間で一度しか都大会に出場できなかった理由を振り返る

一度目の育休取得後、前任校で二年間、現任校で大体四年間野球部の指導に携わることができました。

今回、二度目の育休取得というこのタイミングでどうして私自身、なかなか都大会に出場するような強豪チームを作ることができなかったのか振り返ってみたいと思います。

 

まず、前提として、私は弱小だった(本当に万年1回戦負け。そもそも部活動として成り立っていなかった)初任校を30年ぶりの都大会出場、都大会初勝利に導いたという自負がありました。

www.taguchizu.net

↑そのときのことをまとめた記事になります。

そもそも今振り返ると、導いたみたいな考えすらおこがましいのですが、その点は後述します。

市で毎回ベスト4に入るようなチームにするのに3年(当時は40チームも出場していました)

都大会に出場したのが5年目と、時間はかかりましたが、自分の指導の方向性が正しいのではないかと自信をもつことはできました。

そこから異動を見据えて副顧問になり、結婚、育休取得、その間も野球の勉強は欠かさず、宮川理論の公認指導員にもなりました。

次に野球部をもつときには初任校以上の強豪チームを作ることができるに違いないと、今思えば恥ずかしい勘違いをしておりました。

次に顧問に就任した際に同じ過ちを繰り返さないように、自戒を込めて記事を書きたいと思います。

みなさんも私の失敗談から同じ轍を踏まないようにしていただけたらと思います。

 

理由1:復帰直後の勝利で勘違いしてしまった

復帰1年目。

前任校では部活動指導員の先生を主顧問に迎え、その方が守備や走塁をメインに、私がバッティングやピッチングをメインにと、分業するような形でチームを作りました。

また、二人とも当時はまだ多かった高圧的な指導ではなく、選手の意見を聞きながらのチーム作りをしたという点で選手・保護者の方の信頼を勝ち得たというのも大きかったです。

そして、なかなか勝ちきれなかった代で市大会をあっさりと優勝。

この代は都大会では勝てませんでしたが、勝ち進んでもおかしくないくらいのすさまじい力がありました。

この代は我々に顧問が代わって都大会に出ることができた代となるわけですが、組織づくりや技術指導の面でも以前のままでは勝ち上がれなかったと思われ、我々に顧問が代わったからこその都大会出場だとは思います。

しかし、あくまでも最後の決め手が我々に顧問が代わったということであって、イチからチームを作った代での優勝ではありませんでした。

さらには、相方の部活動指導員の先生も私より随分若いのにすばらしい先生で、学ぶ意欲があり、私を含め、周りの人材を活用できる方だったという点が非常に大きかったと思います。

www.taguchizu.net

↑こちらの記事で紹介もしています。

まあ要は、本当は自分の功績でも何でもないのに、この復帰一年目の成功体験で「ああやっぱり自分はできる」と勘違いしてしまったのです。

ここがまず一つ目の理由となるのではないでしょうか。

 

理由2:練習量の不足を補いきれなかったこと

優秀な部活動指導員の先生とのコンビでそれなりに毎大会勝ち上がることができるチームを作った後、私は現任校に異動しました。

そこで私は久しぶりの主顧問に就任。

これまでの経験と新たに学んだ技術・知識とで、強豪チームを作ろうと考えていましたが、そのチームは真面目な選手が多いものの、組織としては未熟で、チームができていないと感じるチームでした。

まずは姿勢や心構えからじっくりと育てていこうと考えていました。

これまでの経験から前任の先生のやり方を否定したり、急に舵を取ったりすることは得策ではないと思ったからです。

しかし、異動したタイミングが2020年とコロナ禍がちょうどスタートしたところ。

本来であればじっくりとみんなで目標を定めたり、丁寧に個別面談を行ったりしてチームを作っていくところでしたが、一年間の半分ほどは活動停止になるような状況で、対外試合はほとんどできず、平日週2回1時間ずつというような状況ではなかなか姿勢や心構えを作ることも難しかったのが現状でした。

それでも翌年の選手権大会では初めて持たせてもらった代の選手たちががんばり、年明け最初の試合が選手権大会というひどい状況の中で優勝候補相手に1対3と善戦。

この代の子たちはほとんどバッティングと守備の基礎しか教えてあげられず、活動ができなかった期間にZoomミーティングを毎週行ったり、私自作のYouTubeチャンネルで野球の知識を覚えてもらったりしたものの、実戦とはやっぱり違うなという感じでした。

それでもこの代の選手たちがこんな状況でも腐らずにがんばってくれたから現任校の野球部が上昇してくれました。

次の代は私が1年生から学年主任をした自分の学年で、日々学校生活から関わることができた代でした。

正直に言うとこれまでに見てきた選手たちの中で2番目に力はありませんでした(1番は後述する次の代です)。

最初の練習試合は隣りの学校に0対18で敗戦。

夏休みはもう全く試合にならない状態でした。

しかし、1年次から関われたことと、12名も入部してくれたこと、一人も辞めないで続けてくれたこと(嬉しいことに、初任の指導者としてまだまだだったとき以外、一人も退部者を出していないことは私の自慢の一つです)、そして上の代がかっこいい先輩でいてくれたことなどから、少しずつ力をつけてくれました。

11月くらいから練習試合も少しずつ勝てるようになってきて、小さい軍団だったのですが、バッティングと走塁はどんどん良くなりました。

年明け、これは最後の選手権なら行けるかもしれないと私も選手も思っていた矢先、再び長期の活動停止となりました。

結局、練習量の不足を補いきれず、最後までサインプレーやケースに応じた守備等を詰め切ることができませんでした。

選手権大会は最初の練習試合で0対18で敗れたチーム相手に0対1で敗戦。

そのチームも都大会出場校なので強豪なので、チーム発足時を考えると大健闘だったのですが、発展途上のチームだっただけに度重なる活動停止は本当に痛かったです。

 

また、コロナを度外視しても、練習不足を上回る工夫が足りていなかったのも認めなければいけないと思います。

よくよく考えると、私が都大会に出場した3回は全て文科省のガイドライン(平日1回、土日どちらかの活動を行わない)が定められる前のことになります。

要は毎週末練習試合や練習ができていました(と言っても私は一日中やったりはしていませんでしたが)

ガイドラインが定められてからは遵守して活動をしていますが、正直言うと周囲の半分くらいのチームは守っていないっぽいです(そこをどうこう言いたいわけではない)

ガイドラインを遵守して活躍しているチームは多々あるわけで、私がそこに至れていないのは単純に力不足を認めなければいけないと今振り返っています。

 

理由3:合同チームというものを分かっていなかった

2022年の新チームから初めての合同チームを経験しました。

合同チームの顧問という経験がなく、他の先生からアドバイスをもらったり、自分なりにアイデアを出したりと合同チームでも良いチームを作れるように、強いチームを作れるように努力はしたつもりでした。

しかし、選手権大会の結果は都大会でも上位に勝ち上がったチーム相手に先制したものの、終盤に逆転されて敗戦、と結果を残すことができませんでした。

この代は私の中学校の選手が8名、別の中学校が2名、さらにもう1校(先の項で述べた前の代に選手権で敗れた相手でした。なんて巡り合わせなんでしょう笑。)が3名という構成でした。

正直、私の中学校の選手は入学時点ではこれまでに見た代の中で一番力が無かったです。

力が無かった一つ上の代に比べてさらに落ちるという構成でした。

しかし、就任してからの先輩たちががんばってくれた影響もあると思います。

とにかく真面目に取り組むことができる選手たちでした。

入学時点での力は無くとも、引退までに本当に伸びました。

伸び率で言ったら1位だと思いますし、選手権大会直前の練習試合で「最初から入部していた選手全員ホームラン」も達成しました(残念ながら2年生から入部した子だけホームランは打たせてあげられませんでしたが、長打を含むヒットはたくさん打ちました)

特にキャプテンがすばらしかった。

小柄で、野球の能力が高いかと言われると、キャプテン就任時点でもまだまだだったと思いますが、とにかく一生懸命にチームのことを考え、チームのためになることなら何でもするような選手でした。

合同相手の選手たちはみんな能力は高かったのですが、精神的な主柱は間違いなく我が校の選手たち、キャプテンだったと思います。

そんなキャプテンがいるのだから合同であっても勝たせてあげたかったのですが、私が合同チームの仕上げ方を分かっていなかった。

ガイドラインを遵守するとなると、週末の唯一の活動日は練習試合に充ててしまうことになります。

ですが、毎週練習試合だと合同で練習する機会が無いんですよね。

練習試合の前に相手チームにお願いして合同ケースノックを行うなどして練習試合をこなす中でも実戦練習ができるようにはしました。

www.taguchizu.net

試合のかなり詳細な振り返りをまとめ、各校で配布してもらい、平日練習に繋げてもらうようにもしました。

が、やはり圧倒的にチームで行う実戦練習が不足していたのだと最終的には感じました。

結局サインミスは最後まで無くならず。

相手校を徹底的に研究をして行ったミーティングも結局周知徹底しきれずに試合に活かしきれず。

合同チームのもっていき方の難しさを感じたシーズンでした。

 

理由4:グラウンドに出られる時間が減ったことに対応できなかった

若手で自分の守備範囲の仕事をしっかりとやれば良かった頃とは違い、教員歴も重ね、それなりの役職に就くようになってきました。

そうなると自分の仕事が終わっているからグラウンドに出られるというわけではなくなっていきます。

正直、自分で言うのも何ですが、私は仕事めちゃくちゃ早いと思います。

授業もかなり力を入れてまして、授業準備を怠っているとかそういうことは全然ないのですが、基本的には長期休みに授業のプリントやスライド、定期テストは全部完成させています。

ですが、他の先生が生活指導等で困っていたら助けてあげないといけませんし、授業のアドバイスを求められることもあります。

基本的に勤務時間中に応えてあげないとその先生に迷惑をかけてしまうので、そうなると16時から部活には出ることはできなくなってしまいます。

また、家庭の状況が変わったこともグラウンドに出られる時間が減ったことに繋がりました。

初任校で都大会に出場したときとは異なり、結婚し子どもにも恵まれ、子育てに関わる時間が増えました。

勤務先も遠いため、18時まで部活動を見ることも難しい日も多かったです。

週末もじっくりミーティングする時間もなく、練習試合が終わったらすぐに解散させて帰宅しないといけないような状況でした。

それは全くもって仕方がないことで、要はもっともっと私が出られなくとも効果が上がる練習計画を練ったり、組織を作ったりする努力が必要であったのに、対応できなかったということになります。 

www.taguchizu.net

↑こうした記事を書いていたのですが、まだまだ工夫が足りなかったのかなと…。

 

理由5:選手を集める努力が十分ではなかった

先にも述べたように、2022年からは合同チームとして活動しています。

2021年度の新入部員は6名。

2022年度の新入部員は1名。

2023年度の新入部員は3名でした。

一人も退部せず、途中入部してくれた部員もいるのですが、年度当初の入部者はやはり少ないです。

これはコロナ禍で小学生チームとの交流が禁止されてしまったり、小中連携行事の部活動体験が中止になってしまったりした影響もあるとは思いますが、それにしても少ないです。

先の理由4の家庭も忙しくなってしまったということもあって、小学生チームに顔出しできなかったこともありました。

入部してくれた選手にとっては満足度の高いチームにすることはできたのではないかと思いますが、入部してくれる人を増やす努力は十分では無かったと反省しています。

よく授業のつかみで自分の部活動を宣伝する先生もいますが、自分の立場的にそういうこともできず、というかそれって違うんじゃないかなと思っているタイプなのでしませんが、小学生チーム向けに選手たちにチラシを作らせるだとか、保護者の方を巻き込んでできることをするだとか、そういった工夫はもっとできたのかなと…。

まあ今だからそういう風に振り返れるんですけど、とにかく多忙すぎて、そんなことしている余裕が無かったっちゃ無かったんですけどね。

部員を集める努力については今後の課題としたいと思います。

 

〇まとめ

ということでここ最近の野球部顧問として都大会に出場できなかった敗因を振り返ってみました。

やっぱりこうして振り返ってみると、「時間」がキーワードになる気がします。

いかに短い時間で効率良く成果を上げるか。

いかに短いグラウンドに立てる時間で強い組織を作るか。

練習時間、家庭も含めた自分の時間、そうした時間をマネジメントすることが重要になるのかと思います。

ガイドラインを無視して時間を増やすとか、家庭を切り捨てて時間を作るとか、そういう考えは好きじゃないし、不幸を生み出すと思うので、今後はもっと「時間」を意識して取り組んでいこうと改めて考えることができました。

参考になれば幸いです。

 

関連記事です。

www.taguchizu.net

www.taguchizu.net

www.taguchizu.net

www.taguchizu.net