「スポーツマンシップ」という言葉、普段からよく聞く言葉ですが、その意味を真に理解していますか?
スポーツを行う上では欠かすことができないスポーツマンシップとは何かについて考えていきましょう!
※当記事を書くにあたって、パワーポイントを作成するにあたって、『スポーツマンシップバイブル』(中村聡宏著、東洋館出版社)を参考にさせていただいております。
↑かなり分かりやすくおすすめです。
〇よく聞くけれど、意味を知らないスポーツマンシップ。
みなさんは野球、スポーツを指導するにあたって、「スポーツマンシップ」とは何かを考えたことはありますか?
スポーツの大会の開会式や、運動会の選手宣誓などで、
「スポーツマンシップにのっとり」
という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?
しかし、そのよく聞く「スポーツマンシップ」とは何なのかということは非常にあいまいにされていて、周知されているとは言い難い状況だと考えています。
「スポーツマンシップ」はスポーツをしていく上で、また、豊かな人生を送る上で非常に重要な姿勢です。
今回はこの、よく知っているようで実はあまり知らない、「スポーツマンシップ」について考えていきたいと思います。
※選手に説明する際に分かりやすいようにパワーポイントでスライドを作成し、それをブログ記事にも活かそうと思ったのですが、うまくやり方が分からず、スライドを写真撮影してアップする形になってしまいました汗。見づらくて申し訳ございません。
〇そもそも「スポーツ」とは何だろう?
「スポーツマンシップ」とは何かを考えるにあたって、まず、そもそも「スポーツ」とは何なのかを考える必要があります。
指導者の方は選手に「スポーツとは何だと思う?」と質問してみてください。
おそらくほとんどの選手が答えられないと思います。
正直、私もセミナーでスポーツマンシップを学ぶまで知りませんでした。
「スポーツ」とは「運動を通して競争を楽しむ、真剣な遊び」のことを言います。
そうなんです。
スポーツは「真剣な遊び」なのです。
このスポーツがスポーツであるためには、「真剣な遊び」であるためには、次の三つの要素が必要であると言われています。
ちょっと考えてみていただきたいのですが、スポーツ=「真剣な遊び」を楽しむ際に、①プレーヤー(相手・仲間)、②ルール、③審判、このどれかが欠けたらどうでしょうか?
野球をする際に、
①プレーヤー(相手・仲間)が欠けていたら練習や試合はできません。
2020年2月から新型コロナウイルスが猛威をふるい、仲間と集まっての野球どころではなくなってしまいましたから、①プレーヤー(相手・仲間)が欠けたら野球を楽しめないということは指導者も選手も十二分に理解できたのではないでしょうか?
相手がいなければ楽しむことができないということは、幼い選手にとっては意外な盲点になるかもしれません。
相手はライバルであると同時に、ともに競技を楽しむ仲間なのだということを指導者の方々は伝えてあげて欲しいと思います。
②のルールが欠けていても野球を楽しむことはできません。
野球には様々なルールがあります。
野球というスポーツが誕生してから、少しずつルールが改訂されたり、付け加えられたりしています。
これは、野球というスポーツをよりみんなが楽しむことができるように考えてのことです。
たとえば、近年であれば、本塁での衝突を避けるコリジョンルール。
ゲッツー崩しを狙う悪質なスライディングの禁止などが新たに定められています。
スポーツをする上で、仲間が、相手がケガをしてしまったら楽しむことはできません。
そうしたケガを防いだり、お互いに極端な有利不利が無いように②ルールがあります。
この②ルールがあるからこそ、安心してスポーツを楽しむことができるのです。
そして、その②ルールの運用を公平に行う、③審判の存在も欠かすことができません。
②ルールはあっても、それを運用する③審判がいなければ、時にスポーツは楽しいものではなくなってしまうかもしれません。
野球でも、審判がいなければ、誰も気がつかないところでラフプレーが行われたり、一方だけが有利になったりするようになってしまい、みんなが楽しめなくなってしまうかもしれません(公園で幼い子どもたちだけでやる野球なんかはそうなることがありますね)。
したがって、③審判は敵ではなく、より「真剣な遊び」を楽しむための仲間なのです。
〇では、スポーツマンとは何だろう?
「スポーツ」とは何かについて考えてきました。
では、「スポーツマン」とは何を指すのでしょうか?
「スポーツマン」は英語の辞書的な意味で言うと「good ferrow」を指すそうです。
私は英語は得意ではないのですが、『スポーツマンシップバイブル』によると、
「good ferrow」とは「良き仲間」という意味なのだそうです。
そうなんです。
実は、語源的には「スポーツマン」には運動に関する要素は含まれていません。
「スポーツ」=「真剣な遊び」を楽しむことができる「良き仲間」こそがスポーツマンなのです。
これは、日本で一般的に考えられているスポーツマンの概念とは全く異なるのではないでしょうか?
日本では一般的にスポーツマンとは、
「運動が上手な人」
「運動に日々熱心に取り組む人」
という意味合いで用いられている気がします。
しかし、これは「スポーツマン」の本質とは離れてしまっています。
スポーツマンの「良き仲間」という真の意味を考えると、「勝利を目指すだけ」ではスポーツマンは育たないことになります。
「勝利至上主義」ではスポーツマンは育たないのです。
勝利至上主義にはこれまでに記事にしたように、選手の健康を害したり、アンフェアな行為がはびこったりという問題がありますが、スポーツマンが育たない=社会で通用する人材が育たないという問題もあるのです。
〇スポーツマンに求められること!
スポーツマンであるためには、三つの気持ちが求められます。
①尊重、②勇気、③覚悟、この三つのどれかが欠けていても、真のスポーツマンではありません。
①尊重(Respect)。
これが一番分かりやすいかもしれません。
先に挙げたスポーツの要素を尊重する気持ちが無ければ、「真剣な遊び」を作り上げることはできません。
チームメイトや対戦相手といった、ともに競い合う仲間を尊重できなければ、後述する「Good Game」を作り上げることはできません。
ルールや審判を尊重することももちろん重要です。
野球界でたびたび問題になる「サイン盗み」、「ヤジ」、「ジャッジへの不平不満」、これらは尊重の精神が欠けていると言えるでしょう。
「ルールの中なら何をしてもいい」という考えも尊重の精神があるとは言えません。
そういった選手、チームはスポーツマンではないのです。
また、「ゲーム」を尊重することも重要です。
ゲームを尊重するとは、「真剣に勝利を目指して努力すること」です。
勝利至上主義はスポーツの真のあり方からするとおかしいですが、勝利を目指さないこともスポーツの真のあり方から考えると違います。
互いに真剣に勝利を目指して競技を行うからこそ、後述する「Good Game」が生まれます。
相手は真剣に自分から勝とうとしているのに、自分は手を抜いてしまっていたら「真剣な遊び」は成立しません。
ゲームを尊重するとはそういうことです。
また、真剣に勝利を目指さなければ、表向き相手やルール、審判を尊重しているように見せることは簡単です。
自分の子どもと庭でサッカーで遊ぶときに、勝ちたいあまり子どもの足を削る人はいないと思います。
職場のソフトボール大会でドーピングする人もいません。
真剣に勝利を目指すからこそ、尊重の精神を見失ってしまいそうになるわけです。
そこでも見失わない人がスポーツマンです。
②勇気(Braveness)。
ここでいう勇気とは「困難や危険を恐れない気持ち、いさましい意気」(『スポーツマンシップバイブル』P93より)のことです。
スポーツマンには自主性や判断力が求められます。
しかし、いくら良い考えをもっていたとしても、それを行動に移す「勇気」がなければ何も為すことはできません。
先の「尊重」の精神を十分にもっていたとしても、「勇気」がなければ「Good game」は成り立ちません。
野球であれば、これまでは「サイン盗み」なんてどの高校でもやっていたかもしれません。
言うまでもなく「サイン盗み」はスポーツマンらしくない行動です。
ですが、そういったアンフェアな行為は良くないことだという考えも広まりつつあります。
「サイン盗みなんてアンフェアな行為は絶対に許されないのだ」と認識していたとしても、これまでもずっとそうだったからだとか、指導者の指示があったからだとかで自分もサイン盗みを行っていたら、それはやはりスポーツマンではないのです。
スポーツマンであるためには、自分で考え、自分で行動する「勇気」が求められます。
③覚悟(Resolution)
そして最後の一つが「覚悟」です。
『スポーツマンシップバイブル』ではスポーツを「楽しむ」ではなく、「愉しむ」という言葉が使用されています。
スポーツは決して楽な道ではなく、ときに困難なこともありますが、それも含めた「たのしさ」こそがスポーツの本質だからです。
スポーツはただの「遊び」ではなく、「真剣な遊び」はです。
先に述べたように、「真剣に勝利を目指して努力する」からこそ双方にとって「Good Game」が生まれます。
しかしながら、「真剣に勝利を目指して努力する」ということは本当に大変なことです。
試合に向けて努力することもそうですし、試合の中で体力的にしんどいときでもがんばったり、自分のミスを受け入れたりする「あきらめないでやり抜く力」が求められます。
これがスポーツマンに求められる「覚悟」です。
こうした覚悟ができると当事者意識が芽生えると『スポーツマンシップバイブル』にはあります。
当事者意識はリーダーに求められることでもあり、スポーツマンを育てることはリーダー育成にも繋がります。
ちなみに、先の「やり抜く力」は近年「GRIT」として話題になっていますね。
『スポーツマンシップバイブル』でも紹介されています。
〇「スポーツマンシップ」とは何か?
ここまで、「スポーツとは何か?」、「スポーツマンとは何か? 」を順に考えてきました。
一般的に日本で考えられているスポーツやスポーツマンとは概念が異なることが分かったのではないでしょうか?
それでは、「スポーツマンシップ」とは何なのでしょうか?
「スポーツマンシップ」とは、ここまでお伝えしてきた「スポーツ」をする上での原理原則のことです。
『スポーツマンシップバイブル』には以下のようなことが挙げられています。
・スポーツとは過程を愉しむゲームである。
・プレーヤー全員がいいゲーム(Good Game)を創る義務と責任を負う。
・スポーツを愉しむために設けられているルールを尊重し、守る。
・対戦相手、仲間、審判など、自分と異なる立場の他者を尊重し大切にする。
・勝利を求めて勇気を発揮し、最後まであきらめず全力でやり抜く覚悟をもつ。
『スポーツマンシップバイブル』P143より
要するに、ここまでお話してきた「スポーツ=真剣な遊び」を楽しむ要件を満たし、選手がスポーツマンであることが求められています。
つまり、スポーツマンシップをもっている人は「スポーツマン=Good Ferrow」であり、スポーツマンシップを意識してスポーツを行うことは、スポーツマンの育成につながるということになります。
スポーツマンは「①尊重、②勇気、③覚悟」をもった社会で求められる人材ですから、スポーツ界がスポーツマンシップを大切にすることは、社会全体のためになることと言えます。
また、スポーツマンシップが実践されているかどうかを考えるにあたっては「Good Game」が創りあげられているかが重要な物差しになります。
たとえ勝利したとしても、敗者への「尊重」に欠ける勝者はスポーツマンシップがあるとは言えません。
敗れた側も勝者への尊重はあるでしょうか?
こちらの記事での川淵氏の語りは非常に参考になります。
2019ラグビーW杯の決勝で敗れたイングランド代表について、このように述べています。
「勝つことがすべてで、負けには価値がないと言っているかのような態度だったから。あれでは3位で銅メダルをもらったニュージーランドに対しても失礼。もっと言えば、負けたすべてのチームをバカにしている。ああいう態度は、私の性格上、断固として許せないんですよ。マスコミの書き方もぜんぜん甘い。スポーツマンシップを本当のところで理解してないんだろうなと思った」
私も野球の大会では、選手の勝った時、負けた時の立ち居振る舞いを重視しています。
「Good Game」を実現するためには「Good Lozer」「Good Winner」であることが求められるのです。
↑こちらの記事もどうぞ。
〇まとめ
「スポーツマンシップ」とは何かお分かりいただけたでしょうか?
「スポーツマンシップ」を学ぶこと、身につけること、指導することは、ただ単にその競技をするために必要なことではありません。
その競技で相手も自分も楽しい「Good Game」を創るためにも必要ですし、社会で必要とされる人材を育成するためにも重要な資質だと言えます。
ということは、子どもたちにスポーツマンシップを学ばせることは、その子どもにとって真に有益なこととなります。
「スポーツマン」となること、「スポーツマンシップ」をもつことは、「社会で通用する人」になることにつながるわけです。
さて、野球界はどうでしょうか?
「野球部出身者は十中八九クソ野郎」なんて言われたこともありますね。
昔に比べると野球界も変わってきたように感じます。
しかしながら、いろいろなカテゴリーの野球を見ていて、全てのカテゴリー、全てのチームでスポーツマンシップが重視されているとはとても思えません。
まず変わるべきは指導者だと思います。
私は今後もっともっと「スポーツマンシップ」教育に力を入れて部活動指導を行っていく所存です。
スポーツマンシップあふれる野球界になって欲しいと願っています。
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